元ファーストクラスCAの接客術“おもてなし力”の磨き方 第19回

2024年12月号 <元ファーストクラスCAの接客術 “おもてなし力”の磨き方>

江上 いずみ

コラム

第19回

誰かの一番がほかの誰かの一番とは限らない

 私の30年にわたる国際線の乗務生活では、本当にさまざまな国の人と接する機会がありました。国籍や性別の違いだけでなく、言語、宗教、習慣、食文化、国民性、年齢、職業や障害の有無なども含めた多様性を身をもって実感してきたのです。機内という閉鎖的な空間で、多様な価値観を持つ人々と相対していくことは、時としてとても難しく感じることが多くありました。

 とくに宗教は、信者の人たちに強い行動規範を与えます。例えば、イスラム教には食事に関する制限が多くあります。豚肉を食べてはいけないのは有名な話ですが、油、ブイヨンやゼラチンにも豚のエキスが含まれてはいけないので、豚骨ラーメンなどもNGになります。

 またアルコールは飲んではいけないだけではなく、その料理を作る工程の中でも使用してはいけないので、西洋料理を作る際にワインを使ってはいけない、和食を作るときに日本酒やみりんを使ってはいけない、デザートを作るときにブランデーやリキュールを使ってはいけないなど、その原材料に至るまで配慮が必要となります。

 食事の制限だけではなく、祈祷の習慣も厳格で、一定の時間になると、メッカのある方角へ向かってお祈りを捧げなければなりません。その敬虔度は非常に高く、機内にいるときでも変わりません。

 「メッカの方向はどちらですか?」と聞かれることがよくありました。そのようなときは、飛行中の航空機の向きから西の方角を割り出して伝えると、彼らはそちらの方向に向かって祈祷を始めます。しかしそのお祈りの声はかなり大きく、そのすぐ傍でゆっくり本を読みたい、眠りたいという人にとっては、とても耳障りなつらいものになってしまいます。

 イスラム教徒にとっては、機内でお祈りをさせてくれるという心づかいがありがたいことであっても、信者以外の人にとっては、その行為のために睡眠を妨害されてしまい、とても迷惑な行為になってしまいます。

 「誰かの一番が、ほかの誰かの一番とは限らない」ということなのです。

 同じようなことは、機内だけにとどまりません。

 たとえば、視覚障害のある方にとって「点字ブロック」は車道と歩道の境がわかる、外出するときの「命綱」のような存在です。しかしそのたった数㎜の凸凹が、その道を車椅子で通る人にとってはとてもつらいものになってしまいます。

 「おもてなし」というと一律なイメージはありますが、そうではありません。「ある人にとって一番大切なものが、他の人にとっても大切なものであるとは限らない」ということなのです。

 皆さんのお仕事においても、一律なマニュアルがあったとしても、時として臨機応変な対応が必要とされるときもあると思います。「今、目の前にいる人に何をするべきか」とその相手にとって一番大切なことは何かを考えながら、最善の方法で向き合っていただきたいと思います。

イメージ写真
PROFILE
江上 いずみ
筑波大学・神田外語大学客員教授。Global Manner Springs代表。慶應義塾大学卒業後、日本航空(JAL)の先任客室乗務員として30年間乗務。機内アナウンスに定評があり、JALの機内アナウンス指導クリニック創設者でもある。1987年、皇太子殿下・美智子妃殿下特別便に選出され乗務。現在、大学や医療機関、介護施設、官公庁や企業に講演や研修を行う。著書「JALファーストクラスのチーフCAを務めた『おもてなし達人』が教える“心づかい”の極意」(ディスカバー・トゥエンティワン)「幸せマナーとおもてなしの基本」(海竜社)

2024年11月20日 00時00分 公開

2024年11月20日 00時00分 更新

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