コラム
第17回
酷暑が続くなか、この原稿をしたためている8月12日は、私にとって忘れられない日付です。
1985年8月12日、JAL123便が群馬県の御巣鷹山に墜落する事故が起きました。乗客・乗員520名が犠牲となったこの事故から今年で39年となります。
1984年に入社し、訓練を経て、国内線乗務を始めてから、わずか1年足らずで起きた事故でした。
この123便は、羽田を18時に離陸して大阪に向かう飛行機でしたが、私は大阪を18時に離陸して羽田に向かっていて、まさにこの飛行機とは上空ですれ違うはずの便に乗務していました。
羽田での終了時ミーティングが間もなく終わろうとするときに、オフィスのテレビにテロップが流れ始めました。「JAL123便、消息不明」。
慌てて、端末で確認したところ、私の親友の同期の名前がそこにはありました。彼女もやはり520名の命と共に亡くなり、私にとってはあまりにショックな忘れられない事故になってしまいました。
羽田を離陸し、伊豆半島東岸に差しかかった18時24分、後部客室で「ドーン」という音がして垂直尾翼が吹き飛び、その後激しい、いわゆるダッチロールを繰り返しながら飛行を続け、18時56分に御巣鷹山の尾根に墜落するまでの約32分間、乗客乗員がどのような想いでいたかを考えると胸が締め付けられます。
夜が明けて捜査が始まり、バラバラになった機体の残骸とともに、乗客が機内のエチケット袋などに残したたくさんの遺書が見つかりました。
「ママ こんな事になるとは残念だ さようなら子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ 飛行機はまわりながら急速に降下中だ 本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」「18:30 急に降下中。水平ヒコーしている 死ぬかもしれない みんな元気でくらして下さい さようなら 幸せになるんだよ」「18:45 機体は水平で安定して酸素が少ない気分が悪い 機内よりがんばろうの声がする 機体がどうなったのかわからない。スチュワーデスは冷静だ」
切羽詰まった乗客からそう記されるほど、CAは32分間、乗客にさまざまな声掛けをしていたに違いありません。
機内アナウンスを担当したCAの手帳には、緊急着陸してから乗客にどのような声掛けをするかがビッシリとメモされていました。「大丈夫 落ち着いて!」「ベルトを外して!」「荷物は置いて!」「ハイヒールは脱いで」「脱出!」「こっちに来て!」「このドアはダメ! 前へ行って! 後ろへ行って!」などさまざまなシチュエーションを考えたであろう声掛けの数々。必要なとき、必要な言葉をきちんと伝えられるためのメモです。
CAとして、お客様を守らなければならない。その使命感を持って保安要員としての責務を果たし、冷静に声を掛け続けた12名の客室乗務員に畏敬の念を覚えます。
当時を知る社員は全体の0.5%にまで減りました。この事故で得た教訓を風化させることのないよう、事故を知らない新しい世代にも、安全の必要性と保安要員としての責務を伝えていってほしいと思います。
2024年09月20日 00時00分 公開
2024年09月20日 00時00分 更新