コラム
第34回
晩夏に生まれた孫娘も間もなく4カ月となります。腕の中にすっぽり収まる小さな体を抱くたびに、この命の始まりに、家族みんなで立ち会えていることのありがたさを感じています。親になった頃とは違い、経験を重ねた今だからこそ味わえる、静かな喜びです。
しかし「お七夜」を迎えて命名書を神棚に飾りながら、「お宮参り」や「お食い初め」といった儀式について話したら、娘夫婦に逆にそれをやる必要性を尋ねられ、閉口してしまいました。責める気持ちはありませんが、“通過儀礼”が少しずつ形骸化し、「やらなくても困らないもの」になっていることには、やはり寂しさを覚えます。節目を祝う文化が、意味ごと薄れていくようで、胸のどこかがざわつきます。
お宮参りも、お食い初めも、初節句や一生餅、七五三も、その瞬間を赤ちゃん本人は覚えていないでしょう。だからこそ、大人たちがきちんとその行事を行い、写真など記録として残してあげる必要があるのだと思います。いずれ大きくなってその時の写真やビデオを見たとき「私はこんなにも大切に迎えられていたんだ」と、大きな喜びとなって心に届くに違いありません。
もうすぐ初節句を迎えます。娘のマンションに飾るスペースはないから、実家に七段飾りの雛人形を飾ってお祝いしようと娘と話しています。
綺麗に飾ったその雛人形の前で、主役の孫娘と両親、そしておじいちゃんやおばあちゃんも一緒に写真を撮って、いつか孫娘に「あなたの誕生を、こんなにもたくさんの大人が喜んでいたのよ」と、そっと伝える証を残したいのです。
通過儀礼は、その瞬間のためだけのものではありません。時間が経ち、育ったその子どもがいつか写真を見返したときに、初めて意味を持ちはじめます。私自身、娘たちの初節句や七五三の写真を今でも大切に飾っています。
若者の通過儀礼離れを嘆いても、社会全体を変えることはできません。時代が変わり、暮らし方も価値観も多様になった今、昔と同じ形を求めること自体が難しくなっているのだと思います。それでも、自分の家族の中で、意味を語り、楽しみ、記録として残していくことはできます。形を押しつけるのではなく、「どうする?」と問いかけ、「一緒にやってみよう」と娘と並んで考える。その姿勢こそが、通過儀礼を単なる行事に終わらせず、心に残るものにするための、小さな抵抗なのかもしれません。
一つひとつの通過儀礼のその日を「特別な一日」として意識し、写真や記憶として残すこと。それが、未来の孫娘への、静かな贈り物になると信じています。雛人形の前で撮る一枚の写真が、いつかあなたの手に渡ったとき、たくさんの大人が、あなたの誕生と成長をこんなにも喜んでいたのだと、そっと伝わりますように、それが「おばあちゃん」としての、ささやかな願いです。

会員限定2026年02月20日 00時00分 公開
2026年02月20日 00時00分 更新