クレーム対応のレシピ 第27回

“うざい”?“ありがたい”?
親心から出る苦言の受け止め方


著者:JBMコンサルタント 玉本美砂子
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 ビジネスマナーやビジネスコミュニケーション研修の定番に、いわゆる「報・連・相 研修」がある。若手の社員が対象になることが多く、発信者、つまり報告・連絡・相談をする側のマナーやスキルを教えることがメインになることが少なくない。

 しかし、報・連・相がうまくいかない理由は、むしろ受信者、つまり報告や連絡される側にあるのではないだろうか。
コミュニケーションとは双方向のものであり、受信者のレスポンスがよくないと発信者もやる気を失くしがちになる。
せっかくこまめに報告しても何の反応もなければ、報告をしたくなくなるのは当然のことだ。
報・連・相は、受け手の反応力に負うところが大きいのだ。

 ところが、逆に反応をされ過ぎで困ることもある。
相談に対し過剰に反応されるとありがた迷惑に思うときがないだろうか。
長々と説教されたり、持論をぶたれたりすると閉口してしまう。

「小さな親切、大きなお世話」は作家・曽野綾子さんの言葉だが、粛々とかつ具体的にアドバイスをしてくれればいいのに、熱く語られ過ぎてしまうと、大きなお世話になってしまう。
もちろん、本人に悪気はなく、親切心からしたことであるため文句は言えまいが。

 先日、息子に独立開業の相談相手としてある人物を紹介した。熱い人だった。
指圧の心ならぬ親心(かなり古いか)から、独立する覚悟についてとうとうと語ってくれた。

結果、息子の反応は「あの人はもういい」だった。
今風に言えば、説教されて「うざい」と感じたのだろう。
 最近は、こうした人間同士の濃い、本気の会話を「うざい」と感じる若い人が多くなっている。

クレーム応対の現場でも、文句ではなく、親心からアドバイスに近い電話をかけてくる人がいる。
会社に出されるクレームは、基本的には顧客個人に不都合が生じたときに来る「私憤=個人的な怒り」が多い。

一方、政治家の汚職に抗議の声を上げるのは「公憤」である。
クレームの中には、この「公憤」に近いものもある。
例えば、「あの施設の入り口は老人への配慮が足りない」などのような、みんなのために言う、会社がよくなってほしいと思うから苦言を呈する、言わば「親心からの一言」がある。

 私憤・公憤に関わらず、クレームであることには変わりがないから、聴いている方は鬱陶しいものに感じる。
しかし、これを「うざい」と言って、自分の心の扉を閉ざしてしまうか、「感謝」を感じて心を開き応対するかは大違いだ。
「よきアドバイスをいただいた」と素直に耳を傾けるのが、誠意ある応対というものだ。

 おせっかい、大きなお世話と思わず、濃い、本気の会話をきちんと受け止めてみようではないか。
阪神タイガースのキャッチフレーズではないが、「熱くなれ」である。
もっとも「熱くなる」のはハートであって、頭まで熱くなってはいけないが。


(コンピューターテレフォニー2013年6月号掲載)

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2024年01月31日 18時11分 公開

2016年06月29日 16時53分 更新

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